1長浜駅~磯海岸
前回も前を通った懐かしの長浜城、船に乗り込んだ長浜港を右手に見、そういえば前回はNIさんに米原駅まで送ってもらったね、など懐かしく話しながら、長浜駅を出発した今日のメンバーは4人です。
慶運館、豊公園を通り過ぎ、カッパや、折り畳み傘や、ジャンプ傘など思い思いの雨具で、まず琵琶湖畔の湖岸道路、県道2号線を南下します。
湖岸道路は思ったより交通量が多く会話も交わしにくいほどでした。また、この道路は、北行き車線の一部が自転車道路になっていて、青色の矢印と車線表示がしてあります。しかも、車道の一部を使って道路標示だけで設置した自転車道なので、自転車を追い抜く大型車両は、中央線を反対車線に出なければなりません。歩行者には歩道があるのでいいものの、自転車さんも自動車さんも大変だと思える道路でした。
来る時の列車で、若い人がどっさり降りて行った田村駅。その駅に直結してるような長浜バイオ大学を過ぎ、最初の休憩地点、道の駅近江母の郷に着きました。バイクの集団の間を抜けテントの下で休憩していると、列がみえます。10時からスズムシの配布があるというのです。このあたりなら秋になれば鈴虫くらいいくらでも鳴くだろうにと思いつつ、もらう人と渡す人がいて世の中は成立するのだ、コロナの自粛してる場合ではないと関係あることないことさまざま思い、15分ほど休んで出発しました。
奈良時代に東の地方の物資を都に運ぶ湊として栄えたという「朝妻湊」跡、伊吹山での毒気に当たった日本武尊が、醒ヶ井で正気を取り戻し、都へ帰る途中に死んで葬られたと伝えられている磯崎神社。
四阿があったので、なにげなく休憩した「磯」湖岸ですが、古い歴史がありました。もっとも日本武尊の墓所は、名古屋人としては白鳥御陵だと言いたくなりますが、ここは大人の対応にしましょう。
2磯海岸~彦根城
県道を離れ、湖沿いの小道に入ると、正面に湖を挟んで彦根城。陸地側には彦根ビューホテル、ミシガン州立大学の日本での施設、凝灰岩の壁で囲まれた広大な空間、訳の分かるものやわからんものが混在する静かな地域でした。
空腹を感じました。彦根城下に飯屋街があるのでそこで昼食だという目標はすぐに断念し、「近江そば」という旗に誘われて、金亀庵松原店という蕎麦屋で昼食にしました。
昨日のテレビのある番組で彦根城の紹介をしており、城の別名を「金亀城」というそうです。食事をした金亀庵松原店の松原には、彦根藩の下屋敷、通称浜御殿があったそうです。彦根城にどっぷりつかった蕎麦屋で、好みのそばを食べ腹ごしらえをして再出発です。
湖畔を離れ、東高艇庫と滋大艇庫が並んで立っている水路端を過ぎ、工事中の陸上競技場前を右に曲がり、中学生の野球大会真っ盛りの野球場を通りぬければ、今日の最終目的地になった彦根城です。
百名城スタンプや、現存木造天守の建築物的価値を思い浮かべ、胸の高鳴りを覚えます。
3 彦根城~彦根駅
玄宮楽々園の再建工事現場の前で園の構造を聞き白い蓮の花を見、城内に歩を進めました。
玄宮園側からの入り口から入って左手の城内林の一角に、鷺がたくさん巣を作っている場所があり、その下を通っているためか、緑色のコーンとバーで通せんぼをしているような登城路がありました。他の道だとほとんど城内一周してしまうことになるので、やむをえずここを通ることにして、本丸を目指しました。通っていいのか悪いのか、梅雨どきで滑りやすくなっている坂道に文句が無ければ、問題ない道でした。
三重櫓と本丸で古い建物の見学をしました。若い客が多くまた、、客の出入りに時間帯で差があることなど心に留まりました。お城ブームなのでしょう、夏休みに入っているのか、子供連れも見受けられました。とにかく、昔来た時よりきれいになっていました。
客の入り方に波がありますねと案内の人に聞くと、ひこにゃんの出ているときは城内へ来る客は少ないです、と断言してくれました。お城もかわいく集客です。
見学はここまで、あとは開国記念館内で100名城スタンプを押して、彦根駅までまっしぐらに歩きました。その結果、名古屋着16時44分という信じられないほど早い電車で帰ることが出来ました。総歩行距離は城、内含めて16~17㎞でした。自粛生活で体がなまっているのか、年齢による体力の減退があるからなのか、思いのほか疲労感。米原大垣間の車中はよく眠れました。
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