開催日 | 2021年2月23日(火) | ||
集合場所 | JR北陸線 近江塩津駅 9時05分 | ||
目的地 | 北陸道 深坂峠を超えてJR敦賀駅まで | ||
歩行距離 | およそ17km 最高標高地370m | ||
行程 | 9時15分近江塩津駅出発 11時00分深坂地蔵休憩所 12時40分新疋田駅 14時20分敦賀駅 |
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昼食 | 新疋田駅駅舎で弁当 | 深坂峠付近から東を望む |
道中記 (残雪たっぷりの深坂古道をいく) | |||
新型コロナ対策で開催を見合わせていましたが、今回番外編として開催しました。 歩いたコースは琵琶湖周遊街道シリーズの派生コース、深坂(ふかさか)峠を越える深坂古道で、近江塩津駅から敦賀までです。延長約17km、最高標高370m、の冬の道でした。 ここでちょっとお詫びと訂正です。敦賀は若狭ではなく、越前の町でした。臨時増刊号で近江と若狭を結ぶ深坂峠とお知らせしましたが、正確には近江と越前を結ぶ深坂峠でした。すみません。 深坂古道は、平安時代には北國からの物資を大津に運ぶメイン道路だったそうです。また平清盛や、大谷吉継などが若狭湾と琵琶湖を結ぶ運河を作ろうとしたとか、敦賀側の疋田には飛鳥のころの愛発関があったかもしれないという説があるなど、いわれや遺構の多い道です。 何よりこの冬は雪が多い。鉄道ができる以前、冬に越の国に入ることがどれほど大変で、雪の脅威は侍たちに戦なんぞしてる場合ではない、いう気持ちをおこさせるに十分だったことを実感できる旅でした。 前置きが長くなりました。では当日の記録です。 近江塩津駅の駅舎の扉を開け外に出ると寒い。北風が強い。あわててタイツを穿き、帽子をかぶり、ホカロンを握り、万端の準備を整えて出発しました。 駅のすぐ前が国道8号線。ここらあたりはまだ歩道があるので少しは安心できるのですが、大型車両が思いっきり走り抜けていきます。 狭い道路を特大のトラックが上下線ともガンガン通り、先頭のⅯさんは身一つでこのトラックたちに対峙し続けました。国土交通省に悪態をつきたくなるのもわかります。「大きなスノーステーションを作るくらいなら、歩道を作れ、歩道を!」 除雪車両の基地であるスノーステーション、その前に分岐道路があり踏み込もうとしたら、Nさんから、「そこと違うよ。」という的確な指摘。ネットで事前調査をして、地図を持ってきてくれていました。しばらく、いくと「深坂地蔵1.1km」という大きな看板がありました。ここまで駅から1時間15分、ここからは深坂古道の道標がところどころある、踏み跡がある雪道でした。 ところが、地蔵堂を出て、コンクリート車道を上り右へ曲がる左の写真のような踏み後のない雪道が続いているではありませんか。休憩所でNさんがスパッツを装着されました。周到さに頭が下がります。そのNさんが先頭を行ってくれてやっと歩くことのできた道でした。 約20分で標高370mの深坂峠到着。峠は雪はありません。しかし下るに従い吹き溜まりには膝以上の深さで雪が残り、滑ったり、転んだり、雪の下の岩に靴を取られたりの四苦八苦の苦しい道でした。期せずして三人の頭には新田次郎の「八甲田山死の彷徨」の舞台や歌がよぎるのでした。 12時40分出発。出発してすぐ国道8号線の右側の細い道をいくと、道の中央に大きな水路が流れている疋田の宿がありました。江戸時代、敦賀から運河を使ってここまで船で物資を運び、荷下ろしや積み込みをした船溜りの跡があります。手元の資料によれば1816年に完成した運河舟川は幅が九尺(約2.7m)あったそうで、写真の水路より幅広だったと思います。 歩き初めには、時間があれば敦賀で北陸のカニでも食べよう、などと景気のいいことを言っていたのですが、帰りの電車の時間が気になり始めカニ話題はなくなりました。 疋田をでて40分、13時30分ごろ、舞鶴若狭自動車道の高い橋脚を過ぎると、高台から敦賀の町を見下ろすことができました。ここからの敦賀は、三方を山に囲まれた街という印象でした。昔職場の旅行で北陸に行った時たくさん試食した昆布館、東洋紡の大きな工場、を過ぎ敦賀駅に到着。時刻は14時20分。普通電車発車まであと3分。疲れた体に鞭をうち、急いで電車に乗り込み帰路につきました。 【付録】 (問)北陸線上り線が敦賀駅新疋田駅間でループになっているのはなぜか。
(回答案) |
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近江塩津駅 敦賀駅 深坂峠のだいたいの位置 | |||
歩道のない 国道8号線 | |||
深坂古道入り口 | |||
深坂地蔵から深坂峠に向かう | |||
疋田宿 舟川跡 |